サムライ化学者 高峰譲吉の生涯

イントロダクション

あなたは知っていますか?アメリカで桜が満開になる事を。

近代バイオテクノロジーの父「高峰譲吉」とその妻「キャロライン」は、1884年(明治17年)ニューオリンズで恋に落ちる。譲吉30歳、キャロライン18歳。それはまさしく運命の出逢いだった。そして二人は結婚。
これは記録に残された日本人とアメリカ人の結婚としては最初のものであった。


本作は、明治という日本の新たな幕開けともいえる時代を背景に、今もなお医学界においてはなくてはならない「アドレナリン」と「タカジアスターゼ」を生み出した化学者、「高峰譲吉」の半生を描く壮大な物語である。そして12歳年下の米国人妻「キャロライン」。彼女のアメリカ気質の性格が、彼の研究に与えた影響は多大なものである。


だが、1世紀以上も前となる当時の国際結婚は、順風満帆とはほど遠く、波乱と試練の日々であった。
しかし二人は数々の困難を乗り越えて、次々と奇跡を起こすのである。
ワシントンのポトマック湖畔とニューヨークのハドソン河の岸に咲く「満開の桜」。
これは、日本とアメリカの架け橋となった二人の愛の物語なのである。

無冠の民間大使

独立戦争や南北戦争でロシアがアメリカを援助してくれたことから、米国人の80%はロシアに好意を持っていました。そのため、日露戦争の突入に際し、高峰譲吉は米国人がロシアを応援し、日米関係が悪化することを危惧していました。そこで譲吉は、ニューヨークプレスの日曜版に「日本における諸化学の驚くべき発達」という全段抜きの見出し記事を寄稿しました。この記事の中で譲吉は、日本人がいかに平和を愛しているかをアッピールし、わずか30余年近代医学を発展させた一例として、血清療法の発見という人類貢献を成し遂げた北里柴三郎の功績などを紹介しました。
その後も、譲吉は全米各地で講演を行うばかりでなく、妻キャロラインとともに自宅でのパーティに財界人を招待するなどして、親日的な世論の醸成に努めました。その結果、2人の民間外交は、戦費用外債の獲得にも大きな効果を及ぼしたといわれています。さらには1905年(明治3年)には、自らが会長となってニューヨークに「日本人クラブ」を作り、亡くなる直前まで、日米間の相互理解と親善に力を尽くしました

107年目の名誉回復

アドレナリン、107年目の名誉回復
高峰譲吉らの発見によるアドレナリンですが、日本や米国では正式名称をエピネフリンとされていました。これは醸造学を専門としたために薬学領域での実績が少なかった高峰博士が、エピネフリン抽出をしたジョンホプキンス大学の薬理学教授であるエーベル博士に盗作の疑いをかけられたためでした。
しかし、エピネフリンがまがいものであり、アドレナリンこそが本物であることが後年明らかになり、ようやく2006年4月から、日本のみですがアドレナリンが正式名称、エピネフリンを別称に改訂されました。

Biography

高峰譲吉の生涯

1854
加賀藩典医・高峰精一の長男として現在の富山県高岡市に生まれる。
1862
金沢の藩校、明倫堂に8歳で入学
1865
長崎留学、英語を学ぶ
1868
京都の兵学塾、大阪の緒方塾に学ぶ
1869
大阪医学校・大阪舎密学校入学
1873
工部大学校(現・東大工学部)に入学応用科学を専攻
1880
英国留学
1884
帰国後、米国ニューオーリンズ万博に事務官として出張。
キャロライン・ヒッチと婚約
1885
特許局長代理
1887
キャロラインと結婚。
人造肥料会社を興す。
1890
高峰式元こうじ改良法で特許。米国移住。
1892
高峰式のウイスキー製造実験に成功。
1893
モルト業者が強く反発、工場が全焼。
肝臓病で重体に。
1897
米パーク・デービス社と消化酵素 タカヂアスターゼの製造開始
1899
日本での同酵素製造販売のため三共商店(現三共)を設立。
1901
上中啓三とともに、アドレナリンの抽出に成功。
1921
ワシントン平和会議の事前パーティなど日米の融和に奔走。
1922
7月22日、68歳で死去。

三世メッセージ

市川徹の道中レポート

地元オーディション

募集要項(現在は終了)

出演者オーディションは石川、富山県民が対象で、男女、年齢は問いません。
希望者は履歴書に出演の動機を書き、写真を添えて応募して下さい。
締め切りは7月31日(当日消印有効)。
書類選考を経て8月下旬に金沢市の北國新聞会館20階ホールで最終オーディションを行います。
金沢、富山などで10月から撮影を開始する予定で、製作委員会と北國新聞社が協力して
全2部構成で製作し、来年2月に第1部、3月に第2部を金沢と富山で先行上映する。

監督からのメッセージ

高峰譲吉をもっと知りたい、世に広めてやろうという心意気を持った人に集まってほしい。
一言でもせりふを言ってもらいたい。特に高齢者の方は大歓迎です。

合格者の皆さん

清水鉄吉役(譲吉の共同研究者)と塩原又策(横浜刺繍)役

 古村隼人
藤間信乃輔

キャスト

高岡で生まれ金沢で育った「高峰譲吉」・・・。

アドレナリン(止血剤)を世界で初めて抽出し、タカジアスターゼを発明した化学者であるが、彼の功績はそれだけではない。
明治という激動の時代に、日本とアメリカの架け橋となろうと強く意識し、スケールの大きな活動を行った高峰譲吉。
その生涯は終世「サムライ」であった。北陸の地が生んだ世界に誇る化学者「高峰譲吉」・・・。
混沌とした今のこの時だからこそ「高峰復活」の時である。


メガホンを撮るのは、これまで、69作品を監督し、プロデュース作品33本、脚本作品22本と、幅広いエンタテインメントの創造を行っている市川徹。昨年、氷見市出身の実業家、浅野総一郎を描いた「九転十起」の撮影をきっかけに、高岡で生まれ金沢で育った「高峰譲吉」を知り、彼の生き方に魅了。本作では企画・プロデュースも兼務している。


高峰譲吉を演じるのは、モデルとして活躍した後、俳優に転身。’88年の映画「マリリンに逢いたい」で脚光を浴び、その後も映画、テレビドラマ、舞台と幅広い活躍をしている加藤雅也。譲吉の青年時代から晩年までを演じる。


譲吉の妻「キャロライン」役は、モデル・ジャズポップシンガー・レポーター・DJなど、マルチな才能を発揮し、多方面で活躍中のナオミ・グレース。本作は、映画初出演となる。


また、譲吉の妹である順と、順の曾孫の真里子の二役とナレーションに挑戦するのは、安定した演技で映画、ドラマ、舞台、CMなどで活躍している国分佐智子。


そして、譲吉の父親には夏木陽介、母親には萩尾みどり、譲吉の理解者である浅野総一郎役には美木良介、同じく渋沢栄一役に松方弘樹といったベテラン陣が脇を固める。