①「無冠の大使」高峰を描きたい
文:プロデューサー/脚本:太田小由美
2010年3月、消化剤タカヂアスターゼの抽出やアドレナリンの結晶化に成功する化学者、高峰譲吉の生き様を描いていた「さくら、さくら サムライ化学者高峰譲吉の生涯」は、石川・富山でロードショー。5週間で2万5千人を超える大ヒットとなった。改めて石川・富山の人たちが我が郷土から世界に飛び立った高峰譲吉の偉業を知る事となり、自分たちの郷土の誇りであると賞賛したのである。
そして4月、この作品は海を渡る。高峰3世が暮らすロサンゼルスと首都ワシントンD.C.で上映されたのである。特に毎年「桜まつり」が開催されているワシントンD.C.では、全米さくら祭のダイアナ・メビュー会長より、「高峰博士は米国でも広く知られるべき存在。」と言葉をいただいた。様々な好評価を受け、5月、「TAKAMINE」の企画がスタート。「TAKAMINE」は、「さくら、さくら」の続編と位置づけ、無冠の大使として、多くの功績を残した博士の民間外交の様を描く事で決定。また、日米友好のシンボルとして、博士の尽力により日本から桜の苗木が海を渡って2012年で100周年を迎えるという背景も、大きな後押しとなる。
そして、日本国内のみならず、アメリカでの撮影を敢行!
本作品が、高峰博士の思いである「日本とアメリカの懸け橋に」となるようにと願って。
②シナリオハンティング
地方ロケ
5月といえども初夏の陽気の中、監督とともに石川県へ。金沢市だけではなく、能登地方、加賀地方と県内をまわる。石川県出身の私は、今回は金沢市だけではなく、県内幅広い地で撮影を行いたいと思っていた。撮影隊が町にやってくると住民たちも盛り上がり興味をもってくれる。それが地方ロケの良さであり、映画のPR にもなる。
まずは、金沢市の名所である浅野川と犀川をシナハン。その時に、監督と石川県が生んだもう一人の世界的化学者である「桜井錠二」を、譲吉の幼なじみとして登場させようと決める。二人は共に七尾語学所で英語を学んでいた仲であった。ならば、女川と呼ばれている浅野川ではなく、男川と呼ばれている犀川で撮影し、二人の友情も描こうという事に。こうして、次の時代を担う若者へのメッセージとなるエンディングのシーンが生まれた。
そして、今回の映画の中で見せ場となる冒頭の「泣き一揆」のシーン。1858年、米の不作により生活に困窮した庶民約2,000人が卯辰山に登り、城に向かって米の開放を求めて叫ぶというシーンである。松明を使用し、多くのエキストラを入れ込んでのこのシーンは、幼い譲吉が医学ではなく化学を学ぶきっかけとなる大事なシーンである。監督と一緒に卯辰山へ登るが、もちろん道路は舗装されており交通量も多い。撮影に適していないと卯辰山を断念。「金沢市内で他の山を探そう」という監督に「キャンプ場はどうでしょう」と提案。中学時代の夏休み、山の中でキャンプをした事を思い出したのだ。坪野キャンプ場。このキャンプ場は数年前に閉鎖されており、地図にもナビにも載っていない。記憶を辿り山科町から更に奥へと進む。途中で道がなくなるも引き返す事が出来ず、監督から「お前の記憶は確かか?」と。そして、やっとの思いで辿り着いた旧坪野キャンプ場は、150年以上も前のシーンとしては最高のロケーションであり、広々とした敷地は撮影するに最適の場であったのである。そして翌日、能登方面へのシナハンの途中、時間があったので立ち寄った旧福浦灯台。目の前に広がる日本海を見た監督は、「ここで世界へ飛び立とうと少年時代の譲吉が決意するというのはどうだろう」と即決。キラキラと輝く海は私たちに最高のメッセージを与えてくれたのだった。こういうことがあるから、シナハンは面白い。更に、譲吉が大阪へ留学に行く際に、汽車で金沢駅を出発するという形を考えていたのだか、時代考証の中で船で金石港(金沢市)を出発していたという事実を知り、急遽、港を探す事になる。明治時代を彷彿させるような港を探すのは大変であったが、なんとこの旧福浦灯台から車で数分にある港(よしら港)が、木製の伝馬船もある非現代的な場所であった。ロケ場所としては、申し分がない。こうして監督とのシナリオハンティングは終了。本作りに入る事になる。
③クランクイン
2010年8月28日、七尾語学所のシーンから。ここは石川県の旧富来町。100年以上も前に建てられた法誓寺のお堂が、江戸時代の語学所となる。朝9時。隣の八幡神社でスタッフ・キャストでお祓いをする。この日は「八朔祭」の初日という事で、キリコが並び、太鼓の音が響く。当初の予定より1週間送れたが、無事クランクインの日を迎える事が出来た。企画から今日まで、決して順風満帆ではなく、幾度となく起こる問題に全てを断念する状況にも陥った。
しかし、最後はスタッフやキャストの皆さんに支えて頂き、この日を迎える事が出来た。助監督の「本番いきます」の合図で現場に緊張が走る。そして監督の第一声「Ready Action!」無事ワンカットが終了した後、監督の元に行き聞いた。「今回はヨーイスタート!でななくReady Action!でいくんですか?」と。
「今回はハリウッド映画だからね!」「日米の懸け橋ですものね」「やっとその橋が見えたな」苦しい中、初日を迎えたという思いは監督も同様であった。暑く長い夏が始まった。
④映画の街「ハリウッド」へ
石川県、神奈川県を中心とする国内ロケが9月10日で終了。そして9月12日に成田を出発しロサンゼルスへと向かった。メンバーは、市川監督、撮影監督のサム、撮影の倉田キャメラマン、衣装の友美ちゃん、メイクのなっちゃん、そして長谷川初範さん、渡辺裕之さん、田中美里さん、川久保拓司さん、と私。撮影監督のサムはロサンゼルス在住。8月23日に日本にやってきたサムは3週間ぶりの帰国となる訳である。「やっと会えましたね」これまでスカイプで会話し、メールのやり取りをしながら準備してくれていたロサンゼルスチームとWelcomeパーティーの夕食。そして翌日から連日5時起きの6時出発というスケジュールでの撮影が始まる。
ロサンゼルスでの初日は、高峰博士が在米の水野総領事に、「日米友好のシンボルに日本の桜をここアメリカに寄贈するというのはどうだろう」と提案するシーンから。ロケ場所はダウンタウンから更に車で40分ほど北にある「Lake Balboa」。ワシントンD.C.のPotomac Riverの設定だ。なるほど。ポトマックの風景に似ている。アメリカは西と東ではその空気そのものが違う。両方の地域を知っている私は、今回、ニューヨークやワシントンのシーンを全てロサンゼルスで撮影をする事に不安を持っていたのだが、その不安は一気に消滅した。そして美術ユニットが手際よくセッティングをして行く。あっという間に西海岸に位置する湖が、ワシントンD.C.のポトマック河畔となった。ロサンゼルスのスタッフの頑張りに敬服した。
長谷川初範さんのウォーミングアップとも言うべきカンツォーネの歌声を毎日聞き、渡辺裕之さんのアメリカスタッフとの素晴らしいコミュニケーションの取り方に笑い、一生懸命英語のセリフを覚える田中美里さんの頑張る姿を横で見ながら、そして、初めてのアメリカをenjoy しまくっている楽しそうな川久保拓司くんの若さに触れ、「Sound is OK! Sound is Bad!」と言っていた録音ユニットのチーフが「オトOK! オト、ダメ!」に変わり、スタッフ達の英語も耳になれ、みんなとコミュニケーションがとれてきた頃、10日間に及んだロサンゼルスロケが終了。オールアップとなった。
たった10日間。日数にすれば本当にたった10日だが、それまでの準備が大変であった。現地のスタッフ、キャスト用に英語台本を製作。キャストのオーディション、そしてロケハン。映画をご覧いただけるとその一つ一つのシーンに現れているように、ロケセットも見応えの一つになっている。時間のない中、全てを完璧にこなして頂いたロサンゼルスのチームに改めて感謝をしたい。
高峰譲吉の半生を描いた第一弾
2010年3月、北陸で先行ロードショー後、各地で公開。2011年3月5日より、東京進出(銀座シネパトス)。主演、加藤雅也(高峰譲吉)
北國新聞2010.5.25
北陸では4万人以上を動員。その後、全国順次公開ロード
映画「さくら、さくら」公式ガイドブック
北國新聞社出版局
1,000円
「さくら、さくら」の第二弾
2011年春、金沢、横浜で先行ロードショー予定。その後、各地で公開予定。
高峰譲吉は長谷川初範が熱演。
北國新聞8/29
若き日の高峰博士熱演 映画「TAKAMINE」能登で撮影始まる
北國新聞9/18
豪華客船で迫真の演技 映画「TAKAMINE」